BWV 96/6(バッハ4声コラール分析・逐語訳シリーズ2)

バッハ・コラール

 「三位一体祭後第18主日」1用のカンタータ “Herr Christ, der einge Gottessohn”(「主なるキリスト,神の独り子は」)BWV 96の終曲 “Ertöt uns durch dein Güte” です。カンタータの作曲年は1724年,バッハのライプツィヒ時代の2年めです。

 『371のコラール』(Edition Breitkopf 8610) の第303番,『389のコラール』(Edition Breitkopf 3765) の第128番で,前者では “Herr Christ, der ein’ge Gottes Sohn”, 後者では “Herr Christ, der einig’ Gott’s Sohn” というタイトルで載っています。

歌詞

対訳・逐語訳(新バッハ全集)

 今回のコラールの歌詞は,新バッハ全集と旧バッハ全集とでテキストが一部異なっているのですが,まずは新バッハ全集にあるテキストを訳します。

Ertöt2 uns3 durch4 dein5 Güte6,
あなたの慈しみによって私たちを殺してください,

erweck7 uns8 durch9 dein10 Gnad11;
あなたの恵みによって私たちを復活させてください。

den12 alten13 Menschen14 kränke15,
〔私たちの内側の〕「古い人」16を滅ぼしてください,

私たちの内の古い人がキリストと共に十字架につけられたのは,罪の体が無力にされて,私たちがもはや罪の奴隷にならないためであるということを,私たちは知っています。死んだ者は罪から解放されているからです。

ローマの信徒への手紙第6章第6-7節(聖書協会共同訳)

ですから,以前のような生き方をしていた古い人,すなわち,情欲に惑わされ堕落している人を脱ぎ捨て,心の霊において新たにされ,真理に基づく義と清さの内に,神にかたどって造られた新しい人を着なさい。

エフェソの信徒への手紙第4章第22-23節(聖書協会共同訳)

古い人をその行いと共に脱ぎ捨て,新しい人を着なさい。

コロサイの信徒への手紙第3章第9-10節(聖書協会共同訳)

daß17 er18 neu19 Leben20 hab21
それ〔=「古い人」〕が新しい生命を得る(持つ)ように,

wohl22 hier23 auf24 dieser25 Erden26,
ここ,この地上において,よく

 ”wohl” は実にさまざまな意味で用いられる上,あまりはっきりとした意味を持たずに気分で入ることもある語ですから,訳出しなくてもよいかもしれないと思います。厳密なところは私には今のところ分かりません。
 コンマの打ち方を見る限り,この新バッハ全集版のテキストでは,この行は前にかかるものとされているようです。しかし昔の聖歌集を見ると,前の行の終わりにピリオドが打ってあったりして,そうしますとこの行は後ろにかかることになります。意味の上ではどちらでもおかしくありません。

den27 Sinn28 und29 all30 Begierden31
und32 Gdanken33 habn34 zu35 dir36.
思いとすべての願いや考えをあなたに向けて持つために。

 最終行に “habn (haben)” という不定法の形をした動詞があり,どういう用法なのかよく分からないのですが,英語のto不定詞のようなものと捉えて「目的」または「結果」を表していると考えるのが無難かと思います。少なくとも現代ドイツ語であれば,そのような場合には不定法の動詞が単独で現れるのではなく,「um … zu 不定法の動詞」という形になりますが,これは古いドイツ語である上に詩文ですから,umもzuもなしで同じことが意図されていてもおかしくないと思うのです。対訳は「目的」の意味にとって「~ために」としましたが,「結果」寄りに解釈すれば,第4行からここまでの全体を「それ〔=「古い人」〕がここ,この地上で(よく)新しい生命を得て,思い,すべての願いや考えをあなたに向けて持つように」とまとめて訳すこともできるでしょう。
 ”Sinn” にはさまざまな意味があるので敢えてどれかに限定せず「思い」という漠然とした訳にしましたが,絞り込むならば,文脈上「感覚」または「目的」とするのがよいのではないかと思います。
 「すべての」は「願い」「考え」双方にかかると考えるのがよいでしょう。

対訳・逐語訳(旧バッハ全集&当時の聖歌集)

 バッハ作品にとって重要とされるいくつかの聖歌集を見てみた37ところ,いずれにおいてもテキストは次のようになっていました(綴りなど細かい違いはありましたが)。旧バッハ全集(バッハ協会版全集)でもこうなっています。第4行が上のテキストとはっきり異なっており,そしてこの行がこうなっていれば,先ほどのように最終行の “hab[e]n” の解釈に悩まなくて済むことになります。

Ertödt38 uns39 durch40 dein41 Güte42 /
あなたの慈しみによって私たちを殺してください,

Erweck43 uns44 durch45 dein46 Gnad47 :/:
あなたの恵みによって私たちを復活させてください。

Den48 alten49 Menschen50 kräncke51,
〔私たちの内側の〕「古い人」52を滅ぼしてください,

Daß53 der54 neu55 leben56 mag57 /
〔私たちの内で〕「新しい人」58が生きる(ことができる)ように,

 ここの2番目の語は,新バッハ全集では “er” であるため,前の「古い人」を受けると解釈するしかありません。しかしここでは “der” となっており,”der neu[e] [Mensch]”「新しい人」の定冠詞と取ることができます59このことにより,新バッハ全集でのテキストとこれとで主語が異なることになります。それから,新バッハ全集で “hab[e]” となっている最後の語はここでは助動詞 “mag” となっているため,直前の “leben” を動詞と取ることが可能です。

wol60 hie61 auf62 dieser63 Erden64 /
ここ,この地上において,よく

Den65 Sinn66 und67 all68 Begerden69
Und70 Gdancken71 habn72 zu73 dir74.
思いとすべての願いや考えをあなたに向けて持つ〔ように〕。

 今度は第4行に助動詞 “mag” があるため,その直前の “leben” を動詞と解釈することができるということを先ほど述べました。するとここの “hab[e]n” はそれと並列の関係にある(つまりこれも助動詞 “mag” にかかっている)と解釈でき,新バッハ全集のテキストのときのように悩む必要はありません。

どちらのテキストを採るか(バッハの曲づけのみから考えて)

 本来は,自筆譜や筆写譜などを読んで,そこでどうなっているかで決めるべきでしょう。そしてその結果が新バッハ全集にあるテキストだと思うのですが75今回はどちらのテキストを採るかでけっこう実質的な意味の上での違いも生じてきますので,バッハがどのような曲づけをしているかという面からも考えてみたいところです。

 実質的な意味の上での違いというのは何かというと,要するに,第4行以降の主語が「古い人」なのか「新しい人」なのかです。

 詳しいことは楽曲分析の中でお話ししますが,結論だけ先に言いますと,新バッハ全集のテキストのほうが合っていると思います。「新しい」生命を目指しつつも自らの内に残る「古い」ものとなお戦っている様子が表現されていると思われるからです。

楽曲分析

 今回も動画にしました。

要点(前回すでに述べた事項を除く)

  • バッハの4声コラールの和声はある程度行ごとに完結するように作られており,行の始まりはある程度新たなスタートのようなものなので,行の替わり目には普段ならば避けられるような声部進行が現れることがある。
  • バッハにおいては,トニック→ドミナント→トニックという単純なカデンツでの締めくくりもごく普通にある(われわれの教科書的和声感覚とずれているポイントその1)
  • II→Iの第1転回形,という和音連結について(われわれの教科書的和声感覚とずれているポイントその2)。転回形を含んでいるか否かによって,用いられる和音連結が変わってくる。
  • 記譜上テノールとバスとが上下逆転している場合も,通奏低音において常に1オクターブ下の音が同時に鳴っているため,真の最低音はバスであるから,そのように演奏しなければならない。
  • 第6行のバスに現れる半音階進行の意味を深く考えると面白い(今回の目玉)。

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